
学生時代にアルバイトで介護の仕事を始めたのがきっかけで高齢者介護の世界に興味を持ち、学校を卒業してからの第一歩として、日本以外の国にあり日系人のための老人ホームという「梅野木ホーム」にご連絡をさせていただきました。その理由はたくさんありましたが、中でも本や話でしか聞いたことがなかった日系二世、帰米、戦争花嫁と呼ばれる方々に直接会って話を聴かせていただきたい、そして自分とは国籍も違う異なる文化や歴史を持つ人への介護をさせてもらいたい、そんな思いを強く持ってアメリカにやってきました。

研修の序盤の心境は、日本で介護を始めた時とはまた異なるものでした。同じ日本人に対しては言葉も同じ、食べるものも同じで、言葉にしなくてもなんとなく通じるものを感じられたり、沢山の共通点を探さなくてもすぐに見つけることができたりし、それらを通してコミュニケーションをとりながら介護を始めていくことができました。しかしここはアメリカ。相手は日系人。「どうやって関わっていこうか」と今まで多くの異文化と接してきているはずだった自分が、少し怯んでいるのがわかりました。でもそんな時こそとにかく行動してみようと思い、「日本」という大きなテーマを共通点としたアクティビティをどんどん行っていきながら利用者の方々を知り関わっていこうと思いました。
題材として先ず選んだのは、季節柄も考慮した「風鈴」でした。利用者の方々には好きな絵柄や色を選び、名前を書くという部分のみを行ってもらいました。しかし「僕はピンクが好きです」など好みの話が聞かれたのはもちろん、「フウリンってなに?」や「名前はどっちで書こうか?」など、日本にいたら絶対に聞かれない予想外の反応も返ってきました。「フウリン、ってなんて説明しようか・・・」とか「どっちって、英語の名前と日本語の名前のことか!」と、利用者の皆さんから返ってきた一つ一つの言葉が新鮮で、驚かされました。それと同時に日系人だけでなく日本の文化に対しても自分がどれほど無知だったかを知る大きなきっかけとなったのです。

以来、梅野木ホームでは沢山のアクティビティやイベントを企画・運営させていただきました。これらをきっかけとして、意外なエピソードを語ってくださる方が出てきたり、日常にちょっとした楽しみを持ってくださる方が出てきたりしたことが、とても嬉しかったことを覚えています。また、物事を進めていく上での段取りや、上司の方々への協力の依頼、記録を残していくことの大切さなど、利用者の方々と関わらせていただく上で最低限行うべきことについてよくご指導いただき、アクティビティやイベントを通して実に多くのことを学ばせていただきました。 そんな数々のイベントやアクティビティの中でも、とりわけ印象に残っているものがあります。

ある日アクティビティについて考えていた際、「こんなにいろんな人がいる中で“全員”に共通するものってあるのか」というふとした疑問から、「“みんなで”歌を歌いたい」と思いました。日系人と一口にいっても、利用者の方々それぞれが本当に様々な人生の背景をお持ちでした。というのも、まず生まれた場所がカリフォルニアだったり、ハワイだったり、日本だったり。そして幼少期やいわゆる若き美しい年代を戦争の混乱の中、日系人強制収容所の中で暮らしたり、親と離れ離れになり日本で暮らしたりした時期を経ている方、または花嫁として異国の地を踏み生活を始めた方もいらっしゃいました。
そんな利用者の方々に対し、歌をたくさん用意してお一人お一人の前で歌って回るという地道な作業を行いました。中にはただポカーンとされたり、首を傾げられたり、「俺の好きな歌はね…」と脱線することもありました。“全員”に共通するものを探すというのは歌に限らず難しいものと感じました。ですが、みんなが知っていて、歌えて、さらにそれぞれのふるさとや幼き若き頃を回想することができる歌をようやく見つけることができたんです。それは「夕焼け小焼け」でした。この歌から皆さんが思い出されたことは「収容所での生活」、「一生懸命通った日本語学校」、「日本のふるさとや収容所で見た夕焼け」などでした。実はこの歌は私にとっても思い出の歌でした。地元では毎日決まった時間に流れ、友達と遊んだ後の帰り道を思い出す歌でしたし、この歌にまつわる地域にもしばらく住んでいたことがありました。そういった私の思い出も利用者の方々は興味深く聴いてくださり、「みんなそれぞれ、思い出の夕焼けってあるわよね」と話が弾みました。歌い終わった後に自然とわき起こった拍手、利用者の方々の優しい笑顔と清々しい表情。それはきっと皆さんそれぞれの景色を楽しみながら歌っておられたのだと思いました。

ひとつの歌を通して、時代や文化のちがいや様々な生い立ちなどを越えて人と人とが繋がり、思い出・想いが共感や共有へと導かれていったのです。利用者の方々の見てきた景色は私にも強く想像ができました。そしてその想像を踏まえて利用者の方々ともう一度向き合うと、一度した話でもまた違ったところに疑問を持ち、違ったところで笑いあっているのに気づきました。一時はどうやって皆さんと関わっていこうか怯んだこともありましたが、共通点を見つける努力を続け、共感や共有を重ねていくことで、日系人である利用者の方々への理解に少しづつでも繋がっているのではと感じたことが印象に残っています。
私は、“介護”には“異文化理解”が含まれているのではないかと感じています。梅野木ホームでの沢山の経験には、異文化同士において相手と自分の文化に共通点を見出そうとするプロセスがありました。歌での経験のように、共通点は相手と自分を結びつけ、相手のことを自分のこととして考える手助けをしてくれます。自分の体験としても認識しようとするから、より深く相手の気持ちや人生に寄り添える。これは介護において必要なことのひとつなのではと思います。

私は帰国した現在も日本で介護職を続けています。同じ日本人に対しては共通するものは沢山あるし、分かっている…と思いがちです。しかしその一つ一つを再確認していくと、まず利用者の方々との年齢が離れていることから、物の言い回しひとつや見てきた景色のちがい、価値観など沢山の差異があることに改めて気がつきます。それらを異文化として捉えて、目の前にいる相手の歴史や文化に興味を持ち、また自分のことも見つめ直して共通点を見出そうとする努力・プロセスを経ていく。日本人同士であっても敢えて“ちがい”を認識して根気強く共通点探しをしていく。そんな梅野木ホームで学んだ介護を、今居る場所でも行っていきたいと思っています。
“人生は旅のようである”という言葉があるように、梅野木ホームでの研修もまた“旅”でした。目的地に向かうには、いろんな道のりや出会いがあります。途中の寄り道やハプニング、そして別れを経て新たな道へ進む。あらゆることに悩み考え、それでも楽しんでいくことができたのは、上司の皆さんをはじめとし、スタッフの皆さん、研修生の皆さん、そして利用者の皆さんが支えてくださったおかげだったということに尽きます。次の旅にも、梅野木ホームでの旅を生かしていきます。この場を借りてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。