
今回のサンフランシスコへの渡米は、私にとって2回目の渡米となりました。以前、学生時代には精神保健の研修旅行で来たことがありましたが、滞在時間も短かくあっという間に過ぎてしまいました。そして今回の梅野木庭園老人ホーム(以下、梅野木ホーム)への滞在は年半。言葉も文化も違う中での長期滞在に不安もありましたが、私の中では新しいことへの挑戦という期待が大部分を占めていました。また、日系の方々を対象とした施設という事で、今までの米国における日系の方々の文化的背景や現地での生活などに興味があった私は、梅野木ホームでの研修を楽しみにしていました。渡米前より梅野木ホームでは英語の心配はいらないとお話には伺っていました。実際、研修の中で英語を必要とされる場面はほとんどなかったので安心して研修に臨む事ができました。しかし、日常生活を送る上で英語が苦手な私は戸惑う事が多く、米国という地で私は外国人であるという事を強く実感させられた年半でした。

梅野木ホームでは日系人の方々が介護を受けています。利用者さんのほとんどは1世や2世の方々です。1世や2世の方々ですと、戦争前にアメリカに渡り、生まれ、戦時下では大変辛い時代を過ごされてきた経験を持っており、日本とアメリカ双方の文化の中で生活されてきた方々です。では何故、日系人の方々は英語と日本語、共にほとんど不自由しないバイリンガルであるにも関わらず、日本語を第1言語として使う梅野木ホームに入ろうと決めたのでしょうか。ここには私のように日本で生まれ育った者には分からない複雑な思いがあります。彼らは日本の文化をとても大切にしています。そして同様に日本語を使う環境も大切にしています。そして日本という国を、「故郷」として私たち以上に考えている事を感じました。その思いは家族の方々にもしっかり伝わっており、3世や4世であるご家族の方々が日本を忘れて欲しくないという気持ちで梅野木ホームを選ばれる事を聞き、改めて日本に対する気持ちを知る事が出来ました。私自身もアメリカに住む事で、日本について改めて考える機会をもらいました。米国と日本それぞれの違いを実際に感じる事で、自分の故郷である日本への思いがより一層強くなりました。

私が初めて梅野木ホームに来た時、英語で話せるかという不安がありました。勿論、英語はあまり使わないとのお話をお聞きしてはいましたが、どれほどの方が日本語を話す事ができ、どれほど英語を必要とする場面に出会うのかわかりませんでした。しかし、実際はほとんどの利用者さんが日本語を自由に使うことができ、時には私の先生となり英語を教えて下さる事もありました。では何故、私が言葉にとてもこだわるのかと言うと、私は高齢者の方々とのコミュニケーションで、言語がとても重要だと考えています。勿論、他のコミュニケーションツールも大事ですが、私は特に言葉を使ったコミュニケーションを大事にしていました。しかし、ほとんどの利用者の方々は日本語も話す事が出来た為、不安は杞憂に終わりました。利用者さんとの会話の中で必ず出てくるのが、日本のどこからきたのか?という話題でした。日本での体験を話す時などは、熱心に話を聞いて下さいました。また、スタッフの方々の介護を見ていると、ほとんどの利用者さんは日本語での介護を受けていました。そんな中、英語しか喋る事ができない利用者さんと私は出会う事になりました。ゆっくり喋ってくれるのですが、私が上手く聞き取れず、歯がゆい思いをしていました。また、私が話す言葉も上手く伝わらない為、きっと利用者さんも同じ思いをしていたはずです。言葉では上手く伝わらない事が続いた時でした。お互い言語では気持ちがうまく通じないので、それ以外のコミュニケーションを取るようになりました。身振り、手振りを付ける事で格段に意思の疎通が出来るようになりました日本にいた時は言葉で全て済ますことが出来た為、あまり意識していなかったのですが、今回の経験で言葉以外のコミュニケーションの大事さに、改めて気付く事が出来ました。


日本には年賀状などの挨拶の手紙を書く習慣があります。しかし、アメリカではサンクスギビング、クリスマスなど、イベント毎に感謝のカードを送る習慣があり、日本のそれとは比較になりません。私自身も沢山のカードを頂きました。そこで、カードを頂いた時の嬉しい気持ちを理解できるようになりました。純粋に感謝の気持ちを書かれているカードを見た時に、以前であれば自分の感情を表に出す事が苦手であった私が、自然と自分の中の感謝の気持ちを表に表す事が出来るようになりました。また、それに伴い今までは意識する事が出来なかった、周りの方々の小さな心遣いなどにも気付けるようになりました。今までも、誰かに支えられて生きているという事を感じていましたが、アメリカに来る事によりはっきりと感じる事ができました。スタッフの方々は勿論、同じJ1研修生、利用者、家族の方々など様々な人が私を支えてくれてきたおかげで今日の私がいます。アメリカという地で、右も左も分からなかった私が、1年半もの長い間、梅野木ホームで頑張る事が出来たのは周りの方々のご協力があったからこそだと思います。本当にありがとうございました。