I had many sleepless nights
飯島 祐樹
利用者様が笑った時、利用者様に頼られた時、そんな時、介護職の魅力というものを感じることができました

大学の卒業式も終わった4月1日、私は初めて海外に旅立ちました。しかも、ただの旅行ではなく、一年以上にわたる長期の渡米でした。
梅野木での留学プログラムのお話をいただいたとき、私は夜も眠れず、ずっとそのことにについて考えていたことを思い出します。というのも、私には教員になるという夢があり、その実現のためにはどうしたらいいのか、また、教員としての資質を磨くためにはどうしたらいいのかということに思い悩んでいたからでした。

梅野木でのお手伝いを始めさせていただいた当初は本当にどうしてよいのかわからなかった事を思い出します。しかし、利用者様は本当に介護を必要とされて梅野木にやってこられています。そんな時、それに答えてあげられずうろたえるばかりの自分に歯がゆさを感じた事を思い出します。最初のうちは仲間のワーカーさんに助けを求めたりして介護のテクニックや、考え方というものを学んでいきました。そうしていくうちに、こんな時はこんな風にしたら利用者様はもっと楽なんじゃないか、もっと快適なんじゃないかという自分なりのアイディアや意見も持てるようになり、それがうまくいったとき、そして、利用者様が笑った時、利用者様に頼られた時、そんな時、介護職の魅力というものを感じることができました。

I made friends with people from all over the world
少しずつ英語が話せるようになると、世界各国からの友人ができるようになりました

私は普段は梅野木からサンフランシスコにあります英語学校に通わせていただいておりました。そちらでの学ばせていただいたことも一生の忘れられない思い出になりました。
実は私は英語が大の苦手で、空港の入国審査官の英語を一言聞いたとき、「あぁ、とんでもない所に来てしまった。」と思ったものでした。英語なんて喋れなくてもボディーランゲージで、、、なんて考えていた自分の甘さに後悔したものでした。
学校に通い始めて最初の数カ月ははっきりいって、とても辛かったことを思い出します。 しかし、勉強の甲斐あり少しずつ英語が話せるようになると、世界各国からの友人ができるようになりました。彼らは様々な夢や目標を持って渡米しており、彼らと語り合うことは私自身にとっても大きな刺激になりました。

帰国した今、振り返ってみてもこの梅野木での時間は濃密なものであったと思います。私自身、人間的に大きな成長と手ごたえを感じています。またいつか梅野木を訪ねる、そんな機会があればいいな、と願いながら日本で、梅野木で学んできたことを爆発させたいと思います。